母里友信について

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母里太兵衛は豪快な武将で知られています

母里友信はいまからちょうど400年前ぐらいに亡くなった人物です。
母里太兵衛とも言うらしいですね。まあとにかく6月6日になくなったという説があります。
母里太兵衛はまだまだ信長が全盛期の支配を誇っていた時代に黒田家に入ることになることから彼の最初の運命は決定したようですね。
まあとにかく暴れん坊だったみたいですね、良くも悪くも。
官兵衛はどうしても兄貴的な指導者が太兵衛には必要だと先見性のある直観を感じていたのでそれを行動に移します。
その人物とは栗山利安でした。そしてこの選択は本当にうまく行くことになります。
このことからも官兵衛には人を引き合わせる才能を持ちすぎていたみたいですね。
逆に行き過ぎた才能は裏目にでてしまうこともあるというので本当に人生というものは最後までわかりませんね。
のちに太兵衛は一生、栗山利安に指導してもらったことを感謝し続けることになります。
なんとも感動できるストーリーでよかったなあと思えますね。その指導の甲斐もあってか太兵衛はたくさんの伝説にも残るようなすばらしい記録を戦績に刻み続けることになります。
とにかく太兵衛は武将としては本当に優秀であったようで才能にめぐまれてよかったですね。太兵衛はお酒がらみで有名なんですよね。
なんとも当時のお酒はいまより薄かったみたいですけど、お酒を飲めないと武士として恥ずかしい時代だったみたいですね。
現代の飲み会もやっぱり当時の日本の文化の名残なのですかね。なんでお酒が飲めるとかっこいいってなんなんでしょうとは思いますけどね。
時は秀吉も病気になりもう秀吉の時代ももう終わってしまうかも知れないといった頃です。福島正則のもとに黒田家の使者として向かうことになった時のことです。
福島正則はもうすでによっぱらっていたようで、案の定絡まれることに母里太兵衛はなります。
そのときお酒を一緒に飲むことを勧められた彼は仕事中なので一旦はお断りしたものの、暴言を吐き続ける福島正則をうまく利用することを決断しました。

その状況を上手く逆手にとることを思いついた決断とは福島正則が暴言を吐き続けるぐらい酔っていることをうまく逆手にとった発想でした。
当時、福島家の家宝であった日本号を大きな杯でお酒を飲み干すことができたら頂きますよと挑戦的に福島正則に言ったことでありました。
結果として彼はちゃんと飲み干しすことに成功し、福島家の家宝であった日本号もちゃっかりゲットしたというお話でした。それだけとっても母里太兵衛は豪快な武将でしたね。